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崇教 真光 所在地
大阪市淀川区東三国
6丁目25-10

   この教団では、まず自分の考えを奪われます。そして、個人が人生の目標として頑張ってきた意志や夢さえ奪います。それは神の意志とは異なる「我」、つまり自分の勝手な自己中心の思いであるという定義です。

21世紀を迎える前に、人類の大峠である転変地異が起こり、浄(きよ)まった人、神の御心に沿う人だけが生き残れる。つまり、神の意志、全ての考えを捨て、真光で教えられたことを勇猛心をもって行うものが「良し」とされ、そういう人が「浄まった人」とされるのです。神の言うことを素直に「ハイ」と言って従う人が我の取れた浄まった人なのです。友達と遊びに行きたいとか、アレが食べたいとか、そんなことを楽しそうに話そうものなら、「あの人はわかってないのよ」「まだ執着が取れてないのね」「浄まってないのね」と、お高い態度で見下げられます。いろいろな国に旅行に行きたいと言った人は、「浄まってきたら、そんなこと思わなくなるよ」と言われました。

つまり、「神へのご奉仕をしていると、ああしたい、こうしたい、という気持ちが消え、神の御用のみをもっとしたいと思うようになる。そんなつまらない執着はもたなくなる。」ということです。神の御用以外は、我であり執着、愚かな考えなのです。
同時通訳をめざしていた人がいましたが、教団の指導者(Y氏)に「お前の人生の目標は同時通訳じゃない!お前はそんなものになる必要はない!そんなことより、神のお役に立つことを考えろ!」と一方的に怒鳴りつけられ、「上の言うことが間違っていても、下は上の言うことを聞いていればいい。上が間違っていたら、上がちゃんと戒告を受ける!」と言う指導により彼女は道を断たれました。幹部は、そうとは言いきれないことでも、間違っていることでさえ行わせるのです。

そして、たとえ上の人が「自分が間違っていた」とわかっても、下には「間違っていた」とは言いません。威厳や威信に関るからです。せっかくそこまで努力してきた彼女は、中途半端で学業を終わらされ、語学で仕事をするにも一歩足りない状態で、「なるはずだった」ものにもなれず、行くはずだった所にもいけないまま行き場を失い、どうにもならない状態でした。彼女はその筋の人には「きちんとした訓練をうけて頑張っていれば、あなたは立派な同時通訳者になれたはずの人」と後になって言われたのでした。

真光の指導者に、そんなものを奪う権利がどこにありますか?本当になる必要はなかったのですか?「他に同時通訳者がたくさんいるから」など、理由になっていません。自分の思いつきや考えだけで、あまりにもむごいやり方をします。そして、だいたいそうした指導をした本人は、じぶんがそんなことをしたことさえ、ケロっと忘れて「オレ、そんなこと言ったっけ?」と簡単に言います。その人の言葉をまともに受け、悩み、考え、人生を左右されている人を目の前に簡単に忘れたなど言えるものでしょうか?

彼らをそこまで横柄にバカにしたのは、真光の教えです。神の経綸ばかりを説き、人間として大切なおもいやりや、慈しみなど逆に無用であるように教えています。だから、「キツイ言い方をしてもかまわない」のです。本当のことならズケッと言ってもそれは真実を述べることで、間違いを正すのは神の御心であるから良いのです。言われた相手は、キツク言われたことにも「感謝」で受け止めなくてはなりません。それは真実であり、「みそぎはらい」であるからです。けれど、そんなことを言っているから、えげつない言動をする人が後をたたず、正面から人を傷つけることや、バカにした様なことを言って、逆にいばっています。偉そうに教団内をかっぽしています。これがまともな教団でしょうか?

全て教団の悪いことは「邪霊」のしわざ。真光の神が一番の神なので、一番大きい神だから、それに対抗して邪魔する悪も大きいものが付くのだといいます。確かにそういう理屈にもなるでしょうが、じゃあ神様はその邪魔(悪魔)を押さえることが出来ないのですか。それはその人の「みそぎはらい」として神が使っているのだから良いのだ・・ということですが、「みそぎ」だからといって、気が狂ってしまった人はどうなるのですか?何年もそのままで、未だに回復していません。それどころがそんな理屈の理詰めで、何も言えず、症状は悪化するばかりです。「みそぎはみそぎ、救いは救い」と言い、ちゃんと救ってくれると言いますが、救われず放って置かれた人もいます。そうして教団をやめ、他の教団でみごとに立ち直った人も大勢います。中には死んでいった人も・・。そんな人達のことは「ざいえ(罪)だから・・・」「因縁なのよねぇ」と言うだけです。ざいえならざいえで、因縁なら因縁であっても、じゃあ真光はそれを救えないのですか?罪なら仕方ないのですか?
前世のどんな罪かもわからずに、詫びて、行って、ひたすらやってきた人でさえ、「罪だから」で救ってもらえないなら真光の神は意味がない。因縁だからって因縁どおりになって終わり・・・なら、救えてないじゃないですか!

理屈理屈で本当のことは横に置いておいて、教団を擁護するようなことばかり言っています。なぜかと言うと、それが神様のお味方をすると言うことだからです。「神の味方をしていれば、自分が苦しんだときにも神が味方についてくれる」そういう考えなので、人が教団の間違いや何かを訴えれば「それは不平不満でしょ?感謝ができてないんでしょ?」と言うだけです。みんなそれで本当に納得して、満足しているのでしょうか。そうでないことを口にすると批判されるからいえないのです、本当のこと、本当の気持ちは・・。「今日は暑いねぇ・・」など言おうものなら「また不平不満を言ってる」と思われます。心配で「なぜこうなるのだろう?」という疑問でさえ、「もうあんな不平不満をいっちゃダメよ!」と言われます。

誰も不平不満で言ってるのではなくても、そのように言うのが好きなのです。人をそうして下に見たがるのです。上手に人をけなします。人を批判するのがとても上手です。幹部に相談しても本当のことをわかってもらえず、はた目で客観的な指導ばかりで苦しいことや、迷いを言うと「それは話にならない」と跳ね除けられます。一番肝心なところを、「細かい!」と却下され相談者が苦しんでいる気持ち、本当のところを何も見ようとしません。簡単に理屈で批判したり、教えで決め付けたり、苦しんでいても親身にはなってくれません。教えに「自分が裁かれる、裁かれる、と思うのは、自分が人を裁いているからです」というものがあります。確かにそういうこともあるでしょうが、それが全てですか?その様な教団で、何かにつけ無理解に裁かれ、悪く言われ、「裁かれる、裁かれる・・」と恐怖に駆られるもの無理のないことです。「それはあなたが人を裁いているからです」と、よく話を聞きもせず「お言葉」を下す幹部は、そんなに立派な人ですか。本当に人を導ける人ですか?逆にわがままで、世間知らずのオオバカヤロウが上で威張っているのが現状です。「み役」を与えられると自分は偉いように勘違いするのです。

実際は、ある幹部にの話では、「この人は問題だな」と思うとみ役を持たせ学ばせるのだとも聞きます。そういう程度です。その学べる人はいいですが下の人間はたまったものではありません。そんなわけのわからない指導で追い詰められ、心をズタズタに引き裂かれ、トラウマだらけで人に会うのも怖い、仕事に行っても何につけ私が悪いと批判される・・・などの恐怖を持たされ気が狂ってしまった人も多いのです。

間違っていることを正す動きはないのは何故?邪霊のしわざにしてしまい、自らが心無い、ヒドイことをしてもそれで良い様に勘違いをしています。


そして、さらに真光にいると、人格が凶暴化します。「お浄め」といって、体の硬いところを軟らかくするのですが、その際に背中など体を指で押して硬いところ(急所)をさぐります。

友人が背中のお浄めを受けているときに、お浄めをしてくれているAさんとみ教えに関する話になり、たまたまお互いの意見が食い違ったのです。Aさんの言うことに逆の意見を言う友人に、Aさんは見る見るうちに表情が変わり、まるで大魔人のような形相になり、そのうち異論をとなえる友人に対し、怒りと憎しみで急所をさぐるようになりました。もう、お浄めのための「さぐり」ではありません。どんどん増す指の力に、友人は「背骨が折れる!」という程強く背中を押されました。驚きと恐怖で、それは声になりませんでした。始めは弱く、徐々に強く、そして骨が折れるほどの痛みに!それが3回繰り返されました。そのたびに「やめて!背骨が折れる!」と叫びたかったようですが、恐怖で叫べませんでした。
もし叫んだなら、「なんやとーーー!」と胸をバーンと張り、足で顔をギューッ!と思い切り踏みつけられ、踏みにじられそうな恐怖だったといいます。

ついに訴えることが出来ずにお浄めが終了。Aさんはようやく友人が言っていた意味を理解し、怒りがとけたようでしたがなんと!お浄めが終了したあと、そのAさんは、まるで何もなかったかのように、全く平然と普通にしていました。これは自分がマズイことをしてしまったので、はぐらかして平然としているのではありません。覚えてないのです。今、今まで自分がどんなことをしていたか。
もうお浄めのための「さぐり」ではなく、指で相手を攻撃していたのです。憎しみと怒りの塊と化したAさんじゃ、気づかないうちに怒りで指で、友人を攻撃していたのでした。まさに背骨を折る行為でした。特にAさんは女性といえども力持ち、そんな人に憎しみをこめられて背中を押された日には、どんなことになるか想像がつくというものです。実際に背骨は折れずにすみましたが、だったら良いのでしょうか。違います。自分の考えが通らないからと怒りにまかせ、そこまでの行為をするのは、あきらかに暴力です。しかも本人は全く気づいてもいません。

後日になって忘れるということはあるでしょうが、今、したばかりのことを覚えてないなど、それほどの怒りで我を忘れていたということです。
教えの解釈は人により様々です。自分が信じていることと違うからと、「なんやと〜・・」と言わんばかりに憎しみで、しかも背骨が折れそうになるほどの攻撃をしても忘れるほど、怒りまくらないといけないものでしょうか?横柄にもほどがあり、恐ろしいの一語につきます。

Aさんに、そのことを伝えようにも、本人が全くなにもなかったかのようにケロっとしているのにも驚きました。そんなAさんに何をどう言えばその驚きとそのときの恐怖が伝わるでしょう?急所を探るときに強くする人もいるので、おそらく話しても「そら強くやったと思うけど?」と言われてピンと来ない様子が手に取るように感じられたので、友人は何も言葉にすることは出来ませんでした。Aさんも指導者でした。指導者との間では、こういう「言えない」ことばかりです。どんな風に言っても「上に逆らう言葉」という感じで受け止められ、間違ったことを怒鳴りつけられても、「結局自分にそう思われることがあるからで、相手が何を言いたかったのかをわかればいい」そして、向こうが間違っていても何も言えないのです。たとえその場は相手の勘違いであってもです。

前述のY氏に「この絵、どう思う?」と日本画が表紙になった真光誌を見せられましたが、そう聞かれた人は何も思わず「どうって・・・?」てしばらく黙っていました。するとY氏は「ほうら・・・考えてる考えてる・・。コイツは何を言っているのか、何を答えればいいのか・・・お前はなー!そんなことをごちゃごちゃ考えず、どう思うか聞かれたら、キレイですねとすぐに答えられるようになれ!!」と怒鳴りつけてその場を去りました。「え?」とんでもない!そんなことなど考えていなかった友人はすぐにY氏を追いましたが、すぐに別の人と話をしているY氏は、しばらく後ろで待っていた友人に目もくれません。きっとムカつくことを言ってやったというぐらいなのでしょう。そんな一方的な指導ってありますか?確かに彼女は考えすぎるところがありましたが、だからといって彼女の心の中まで決め付け、考えすぎて苦しむことも理解せず、それはまるで見下した態度で彼女をなじったにすぎません。人の心もよく見ずに横柄な指導を行っているから起きる悲劇です。

その人のふるまいは真光隊では「Yの悲劇」と言われたそうです。彼女は傍目に見えるほど、そんなに考えてばかりではしませんでした。第一、その「絵」をみてなぜキレイだと返答しないといけないのでしょうか?キレイねとすんなり返せるのは、付き合い上あっさりとしていいかも知れませんが、絵など人の好みです。彼女はその絵に対しては、別にキレイだともいい絵だとも感じなかったのです。彼女の好みと違っただけの話で何も責められることではなかったのです。でも、「そんなことは思っていなかった。私の好きな絵のタイピはああだから、こうだから」など言おうものなら、「そんなことじゃなく、なぜ自分がそう言われたのかを考えろ!」と吐き捨てるだけでしょう。

確かに、なぜ言われたのかは重要なことですが、Y氏もそうして彼女を過度に見て、決め付けて見ていたことも事実です、それは間違いであったこともっとよく下の者を見て物を言う必要があったことを学ばなくてはいけないのではないでしょうか?Y氏は自分の言ったことはそれでいいのです。それが幹部の考えです。Y氏は「もし自分が非難されたら、なぜ自分がそう言われるかをまず考える」と言っていましたが、「あの人に相談しても、きっとこういうだろうし・・」など、下の者から自分に対して感じていることを少しでも聞くと「お前はそんなことを考えてるから!!!」と一撃に伏せます。そう考えて悩みを上にあげなかった相手も、考えに間違いはあったかもしれませんが、「あの人に相談しても・・」と自分がそのように言われる理由はどうなのでしょう?きちんと下のものを本当に見てやっていないという証拠ではないのでしょうか。

話を理解されず、的はずれの受け止めかたで指導の言葉を言われても、「そんなことじゃないのに」とそれで解決するわけがないのですが。そんな環境で何もかも捨てて、教団のために尽くし、その捨てさせたその間の人生はどうするのですか。1年2年ではありません。もう取り返しが付きません。
変だと気づいた人にさえ理詰めで対抗し、結局やめていった人は「理解できなかった落後者」扱いです。神様のふるいに掛けられて落とされた人・・。どちらが落とされているのでしょうか。落とされても気づかずに、いばっているのは教団で、そうした横暴を繰り返している人ではありませんか?

人に注意するにも、T氏などは耳元にきて「ボサ〜・・っとしてたらアカンねんで・・」と、どろどろとしたおぞましい口調で、まるでヤクザのような感じでおっしゃいます。ボサっとして見えるからと、よく知らない人に、いきなり一方的にカマかけてくるのです。その場でボサっと見えても、その人は毎日少しの時間も惜しんで、早朝に起きては真配りをし、お浄めにと走り回っていたのです。何もしていないように見えるのは、T氏の目が人を見れないからではないでしょうか?そんな言い方でいきなり言われたその人は、どんな気がしたでしょう?「どういうことですか」と言いにいっても、結局また「自分にはまだできることがあるということだ」ぐらいのものでしょう。けれど、彼女は本当に一生懸命に精一杯動いていました。それでも、それ以上しなくてはいけませんか?

まるで馬車馬のようにやっていなければ、「自分ペースだ」と言われ、「自分ペースではいけない、神様ペースでなければ」と言われます。神経綸は速いのでしょうが、ではどこまでやればいいのですか?どこまでも、どこまでもと言っていたら体が壊れます。うわべだけで人を、教えを見て、批判する人達がやたら多い教団です。

人生の大切な次期を、変な理論で人間性さえ失わされ、尊いものを、尊い時間を奪われた人は、後で気が付いても遅いのです。そんな指導者自身、あとで気がついてももう遅い。自分の指導を訂正しても、失ったものを戻してやれないものもあるのではないでしょうか?

やめさせてしまった志も、もう今更簡単にやり直せるものではありません。同時通訳志望のその彼女は、他教団の通訳ブースを見て「私はここに居るはずだったのに、なぜ・・?」と力なく、行き場のない自分を実感していました。因縁だからと簡単にあしらえますか?
因縁だからとそのまま放っておいて、結局信者を救いもしなかった、救えなかったのは、一体どこの教団ですか?

現在彼女は他の教団に救われ、気が変になっていたのも回復し、同時通訳はもうできませんが、少しずつその道で仕事を得、また以前歩いていた自分の道を歩きはじめています。もっともっと道が開けたと喜び、本来の自分の持っているものを再度生かせるように復活しました。
6年もかかりましたが。。。真光で過ごした10年、その後立ち直れなかった6年。彼女の16年は、もしこんな教団に関っていなかったらもっと大きく伸びていたと思います。「真光をやめやっと本当の宗教にめぐりあえた」喜びと、どうしてあんなことに・・・と言う無念さで、現在は自分の道を見失わないように頑張っています。「自分の道を失わない・・・それができるための修行で、無駄ではないのですよ」と、わかったようなことを言う、真光幹部の顔が頭によぎります。そうして得たもの、本当の真理を確信することもできたでしょうが失ったものの大きさは、計り知れません。

真光の神にしてもらったことはお返しをしないと、悪いことが起きてきます。「ミソギ」現象だそうですが、「真光の神様は動物信仰ではありませんので、お返しをしなかったからと言って、悪いことが起きたり、お返しをしろととりたてに来たりはしません」と言っています。けれど返さないとミソギが来るというのでは、とりたてにこられているのと同じです。「神さまは、与えるばかりで何も望みません」といいつつやはり、お返しは望むわけでしょう。「お返しするのはアタリマエ」かも知れませんが、それをしないと「ミソギ」が来るというのは、やはり返せと言っているものです。なぜミソギがくるのかと幹部に聞くと「私たちにはザイエがあるからねぇ」と言います。だからって、お返ししないとそのミソギが出るという理論は全く変です。「ザイエがなかったら、お返ししなくてもミソギは来ないのですか」と問うと「ザイエのない人間なんて、いないでしょう」・・・それはそうですけど、そんなことを聞いているのではありません。要は、やはり神様から頂いたご利益・ご守護はどんなことがあっても返さないと、悪いことが起きてくるのです。けれど悪いこととはいえ「ミソギというのは、その人の罪をみそぐ(消す)ための有りがたいものだからいいのだ、感謝することなのだ」・・・と言います。それでは起きてもいい、感謝なのだと言うことですね。
でもそれじゃあ、返さなかったらミソギが来るから返さないといけない・・・と言えるものでもないでしょう。
矛盾だらけでいつまでもぐるぐると、どうどう廻りをしているのがこの教団の教えです。結局返さないと取り立てが来るのです。

実際、真光をやめると2年間ほどは、ミソギでけっこうキツイと言われています。何に対するミソギですか?お返しをしてないと言いますが教団に居る頃から、「お返しよ、お返しよ」と必死で休みなく走り回っていたのに、それでもまだ返せと言うのですか。
実際に返しきれないほどご恩を頂いていて、頑張って返すことができずに、あとで事故でなくなったり、子供が殺されたりというミソギがまとめて来るのでしたらして頂いたことさえ、無に等しいです。その時助けられても、あとでその見返りに殺されるのでしたら・・。そんなにも返せないのならご利益を頂かないほうがマシだと思うことも多々あるようです。「神は与えっぱなしにして・・」と神様の言葉にありますが、与えっぱなしではありません。「無償の愛」というのはウソです。必ずあとで、お返しをさせられます。それは無償ですか?「与えるそのときは無償」でしかありません。「お支払いは後」であり、決して無償ではないのです。

どうか、真光の巧みな口車に乗せられないでください。
苦しんで、どうしようもない人に「あなただけが苦しいんじゃないのよ!」と責めるのはやめて下さい。
場合によれば、そうして目を覚まさせることも必要でしょうが、本当に苦しんで身動きもとれず、周りも見えないほどの苦しみから抜け出すことができない人に、「自分だけだと思っているの!」なんて、その人にトドメをさしているだけです。励ましでも激励でもありません。
そんな状況で何度も聞かれる言葉です。本当にその人の苦しみをわかってやっていますか?「自分は辛くても頑張ってるのに、何を甘えたことを言ってるの!」それはケースバイケースではありませんか?だれの苦しみも、みんな同じにしてしまっていませんか。ただ人を傷つけているだけです。そんなことを言う人がやっている教団の、何を信じられますか?
教団の全員がそうではありませんが、教団の教え自体がそういう教えです。本当はどうなのか、それが誠か、本当の愛情かを一人一人がみきわめて、取り返しのつかなくなった人達の二の舞にならないように願います。
今はもうやめてしまった人も、上の言うように、下のものに厳しくした頃があったことを後悔している人も多いです。道を求める人に間違ったことをさせてしまうのです。間違った教え、考え、いつわりの、「履き違えた」愛情で・・・うわべだけの思いやりで。

ながながと書きましたが、全てが実話です。自分流に脚色したり、ひねくれて受け止めて言っているのではありません。いつかはみなさん、気が付くでしょうが・・。もし、このやり方で良しというのであれば、一番の罪人は、教団の頂点である「教え主」です。
(情報提供:  泰子さん 5932@01.buta.net ) 2000/12/25

私も真光にズタボロにされました。
仕事に関して努力してきたものを、神の役に立たないという偏見で、やめさせられました。今まで全てを投げ売ってしてきた私の努力、私のために陰で支えてくれ、惜しまず勉強の機会を与えてくれた両親の誠意も努力も、何も考えずに簡単にやめさせました。私の家は経済的に裕福ではありませんでしたが、両親は必死で働き、私に教育を受けさせてくれました。そんな今までの私達の努力など、心にとめてもくれず、一方的にぶち壊すのです。
大切なものや、人として大切な心を忘れている宗教です。崇教などでは有りません。

洗脳され、勘違いして人生を無駄に費やしている信者さん達、早く気付いてください。
気付けば、その年月は無駄にせずに済みます。一日も早くあなた自身に戻ってください。
気付いた時には悔しさと虚しさに満たされるでしょうが・・。
精神をズタボロに崩壊される前に、自然な姿を取り戻してください。
(情報提供:正義の剣 さん) 2001/01/29
 
私は真光の幹部の内部までよく見てきた者です。大阪の真光に居たころの話をします。
真光では「救い主様」のみ教えというのがあり、これは絶対的なものです。
「辛いことがあれば、ああこれで、何か小さな罪が1つ消して頂けたと思い感謝しましょう」
という教えがあります。真光では一般的に良く知られる教えです。私はある信者さんからの
妬みと逆恨みで、困ったことがありました。そのとき「妻○導士」という男性の導士に相談を
していました。さんざんな目に遭った私ですが、弱りながらも「でも私、こんな辛いことがありますが、これで1つ小さな罪が消えたんだと感謝もしてるんです」と申し上げたところ、「な〜んだとおぉ〜・・!バカにするなよおぉ〜、これで消えたと思ってるのかーー!」
と、まるで私を恨むように、おどろおどろしい声で、私を憎しみののしりました。
私は「救い主さまのみ教えにあるじゃないですか・・」と、のどまで出掛かりましたがとんでも言えるような様子(相手の状態)ではありませんでしが。その導士の念の恐ろしさは、たとえ私でなくても、だれも反論できるものではありませんでした。その時は電話だったので顔は見えませんでしたが、きっと仁王のようにすごい形相をしていたことでしょう。
真光の幹部で、信者には想念を清く正しくと指導している者が、あからさまに信者に対し、すごい憎悪と恨みの念で刃を向いてくるのです。
その次の真光誌には、私が言っていた「み教え」が掲載されていましたが、その妻○さんは、の内容を目にしたでしょうか。自分がよく耳を傾けずに、信者をののしり、罵倒したことに気付いたでしょうか。あきらかに導士よりも一般の信者さんの方が、きちんと教えを知り、理解していたのです。導士というだけで一般の信者を見下しているのがほとんどです。

私が教団を辞めた時は、やめる理由を班長には言いましたが、立ち会ってくれた幹部候補生には言いませんでした。良く知らない人でしたので、話すと長くなりますし、簡単にひとことで言えるものではありません。理解してもらえずまた辛い思いをするのは必定でしたから。
当時大阪大道場に来ていたのはアジアの女性幹部候補生でした。ご神前で神様に「私たちの指導が行き届きませんでしたこと、申し訳御座いません」と、深々と頭をさげ、自分達が至らなかったと詫びました。最後のお浄めを受けて行かれてくださいという申し出に、ご好意なので少しだけ受け、「もう結構です」とあとはお断りしました。するとその幹部候補生は、去っていく私に向かい「いつまでも意地張ってないで!また困ったらいつでも来なさい!」と、すごく偉そうな態度で、簡単にあしらう様に言いました。私は何をそんな風に言われないといけないのですか?さっきの神への詫びはウソだったのですか?自分が「指導ができなくて辞めさせて申し訳ない」と思っているのなら、傷ついて辞めていく私にそんな横柄な態度は取れないはずです。「神様申し訳ありませんでした」とは、こんな時に形だけで言う、決まり文句だったのですか?
アジアの女性幹部候補生は「困った奴!」とでも言いたげに私をあしらって、さっさとその場を去りました。
その人は、私が辞める理由を何も知らない(知らされていない)のに、知りもせず簡単にそんなことを言っていいのでしょうか?幹部たるものが?「いつでもまた来なさい」と一度辞めた者でも迎えてくれるのは良いことですが、「来なさい」はないでしょう。「困ったらまた来てくださいね」と言うのなら本当に親切ですが、傷ついて去っていく人に、「また来なさい」はないでしょう?
ろくに信者を救ってやれなかった所なんですから、真光は。「いつまでも意地張ってないで!」など意地張ってやめるのなんかじゃありません。そりゃあ、理由はご存知ないでしょうが、自分が知ったわけでもないのに、よく調べもせず、「意地張ってないで!」と罵倒されたことで、最後にこの教団がいかにいいかげんで乱暴かを思い知りました。おかげで2度と戻ろうとは思いません。何があっても。

真光の幹部は訓練部というところで特別な訓練を受けます。一般の信者さんより一足先に清まらせて頂けるのだそうです。だから幹部は自分達の方が清まって、教えをよく解っているという自負があり、それはもう、とうてい社会では通用しないような、おこがましい人間が多いのが現実です。
「天変地異が来るから」と、結婚や出産をしても、天変地異で死んでしまうのなら無意味だからという考えで、若い人たちは自分自身の人生を捨て、訓練部で清まって生き残ることを選びます。
「結婚なんかしても、どうせ転変地異が来るんですから、無意味です」と、真光と訓練のことしか考えなくなります。それも人生でしょうが、そこまで思わせてしまい、思い込んだ人生を送らせるのはまるで人生の「かたわ」にさせているような気がします。

それから、真光内で起こっている人間関係の問題の原因は真光の教えと、その教え方にあります。
「こんなところに居たら、人間性めちゃくちゃになる」といって辞める人が少なくありません。
教えに照らし合わせて正しければ、ひどいことでも、傷つけることでも平気で言います。
常識のない言い方や、ドロドロとしたおぞましい言い方をしても、言った本人は自分が正しいと思っているのです。
また、お浄めで男性と女性が組んだりしますが、私はお浄めのとき大阪の男性班長の「津久○明宏さん」に、胸をさわられました。女性のお浄めが大好きな人だったようです。ごきげんで、急所をさぐっている本人は、自分が女性の胸を何度もさわっていることなど、まったく知らないように見えましたが、知らないふりをしていたのでしょうか?私は声が出ませんでした。幹部に話そうにも、「津久○さん」は言動もえげつない上に、やっかいな人でしたので、その後のトラブルを思うと誰にも言えず、口をつぐんでしまいました。ほんらい、そのようなところは女性同士でお浄めをするのが良いのですが「お浄め」だからと急所をさぐるためなら、男性でも女性の局部(おしりや胸周辺)をさわる事は普通なのです。男性は、女性に「ここをお願いします」と言われたら、すんなりとそこをお浄めするようにと
指導されているにも関わらず、「いえ、今さぐってますからねー!」と上機嫌でさわりまくります。
お尻は、足の付け根の裏になるので急所なのですが、丹念に丁寧にお尻全体を触りまくられたら、とんでもいい気はしません。幹部になる人間でさえ、そのありさまです。

本当に変な教団です。教団の悪いところは全て邪霊・悪霊のせいにしてしまい、自分達が正す必要があるなど、気付いていません。きっと「妻○導士」が私を罵り、憎しみでなじったことも、「邪霊のせいよ」などと言うのがオチです。間違っていたのは導士であっても。
また、どんな乱暴なふるまいでも、神の真理を述べているのなら「教えでは正しいことだから」という考えで、それにより「傷ついた」ことなど話そうものなら、「不平不満です!」とバカにされ、聞いてもくれません。

真光隊の訓練に教練というのがあり、とても厳しく軍隊のように行進します。たまには、気合が入ってよいのですが、やりすぎです。副隊長の吉○昇平さんは、「機械は人間が作ってるから壊れる、でもボクらは神様メイドや、だからどれだけやっても壊れない」というのです。が、そうして過酷な教練で死んだ隊員がいることも世間では周知のことです。新聞に取り上げられましたから。
隊員は、還らぬ人となりましたが、おそらく「普段からきちんとお浄めを受けてないから」とか「よほどの罪で、邪霊に勝てなかった」とか言うのでしょう。いつものことです。

おそらくは真光は、オウムよりもきっと恐ろしい教団だと思います。オウムのように、ハデな修行をさせはしないので目立ちませんが、ごく普通の生活のなかで、確実に人を洗脳し、確実に人を蝕んでいき、破壊します。
けれど、世間にはその悪質さは気付かれにくい・・オウムは見るからに邪悪だと気付かれるので、避けることもできますが、真光のように地味で、内部のことが外に見えないものは怖いです。見えないけれど、実際は恐ろしいところです。世間には実害のない、無害な宗教に見えるでしょうから。

どうか、真光の極端な教えに振り回され、人生を棒にふらないようにしてください。
真光よりもっと良くて、もっと良い人生を歩める宗教はほかに沢山ありますから!
10代、20代、30代、40代・・・と大切な時期を真光に没頭し、人生の時間を費やし、あとで振り返っても取り返しのつかないことになっているのは、1つや2つではありません。
現在信仰されている人は、たくみな教え(理屈)にまるめ込まれないで「変だ!」と思ったことは勇気をもって発言し、自分の道を見つけてください。まわりが何と言おうとも。。。

(情報提供: 大阪真光 さん saekoobachan@hotmail.com) 2001/02/05
  教団の幹部をされている西尾ジュ○さん、悪想念とは、その人の苦しみであることを良く知り、その人を理解し、真に救いに導ける人となってください。それが本当の姿(愛)ではないですか?

ひどい教えです。悪想念はダメだと教えていますが、それは宗教ではもっともなことでしょうが、けれど、それで苦しみ悩んでいる人を「悪想念!悪想念!」とさげすむようにあしらうとは、どういうことでしょうか?その人の身になって救うことは考えないのですか?
単に自分は悪想念を出してなければ、それで神の御心にかなっていると、偉そうに振舞えるのですか?そして苦しむ人を悪想念だ、不平不満の多い人だと、さげすむのですか?

悪想念、悪想念と人のことをののしるより、悪想念とはその人の苦しみであることを良く知り、相手を真に理解してこそ、人を救えるのではないでしょうか?「悪想念」と裁くのでなく、それから開放してあげる愛情が必要なのではないでしょうか?
まるでツバを吐きかけるように、心でののしり、フン!と扱うのは、正しいどころか、信者の心を追いやって、トラウマに悩み苦しめることになるのです。真光教団の指導は、いつもそうです。
気が狂ってしまった人、たくさんいますよね。「罪(ザイエ)だったのねぇ」じゃないです!
真面目な、真剣で心やさしい、繊細な信者だっているのです。あなた方がその人たちの心を理解しようとせず、教えだけで、理屈で彼らを壊してきているのです。
もちろん罪も因縁もあるのでしょうが、そうしている張本人は、あなた方なんですよ。
わかっていますか?教団の教えと幹部と、それに染まった心無い信者達です。
真光の教えに染まると、まともな判断がつかなくなります。人とは思えないような横暴な言動や態度をしても、それで「神の教えを言っているのだから、私は正しいのだ」となるのです。
それのどこに救いがありますか?

西尾ジュ○さん!そして其の他大勢の組み手さんがた、あなた方ですよ!
救っているのですか?つぶしているのですsか?
真光をやめても、もう10年以上、精神的に癒されなくて、発狂しつづけている人が
どれほどいるか、ご存知ですか?

真光の教えで、どれほどたくさんの奇跡が出たとしても、精神異常者を出して
最後には苦しめるのがオチです。

やめた人間を「ふるいにかけられた」とか「神のふるいから落とされた人」
「神聖化できなかった人」などと、蔑むにも程があります。
自分達を見返りもせず、思い上がっているバカです。

教団に残っているあなた達こそ、本当は神のふるいにかけられて、落とされている人たちではないでしょうか?いつまでも解らないから、そうし同じことを続けているのです。
「出来が悪い」のは、やめていった人たちでなく、その人達をやめさせた、どうしようもない幹部・組み手のあなた達ではないでしょうか?
どれほど訴え、伝えても、解らない。。ハシにもボウにもかからないのは、あなた方です。

まともな人にもどってください。カンチガイに気付いてください。

「神聖化する」とは、あなた方のようになることではありません・・決して!

(情報提供: 利他愛 さん) 2001/07/10/15:1

 崇教真光大阪支部

私の友人がどのようにボロボロになって、真光を去ったかを
お話したいと思います。
彼女は真光隊に所属していました。心魂傾けて真剣に信仰して
いました。上司や周りの言葉もいいかげんに聞かず、真剣に
考え取り組んでいたのです。
そんな彼女が真光隊をやめた時の最後の言葉は
「これ以上、吉○さんの下にいると、心も魂もバラバラにされて
しまう!」でした。どれほどの恐れかお解かりになるでしょうか。
「心も、魂までもズタズタにボロボロに砕かれ、壊され、私はもう
2度と再起不能になる!」切実な、切羽つまった危機感でした。
現実に彼女を襲った、すぐ目の前に迫った恐怖でした。
これ以上は、気が狂って、二度と戻れなくなる!切実に、生身に
感じた異常なほどの危機感・恐怖・・どのようなものだったか
想像できますでしょうか?これほどまで一人の女性を追い込んで
怯えさせた人間が、「オレは正しい」とわが身を振り返りもせず
血気盛んに、鼻息荒く、残酷な仕打ちを繰り広げて来たのです。
「吉○○X副隊長、なぜ彼女がやめたのか、本当の理由をご存知
ですか?」言葉にならない言葉が、私の心に残ります。
あなたは彼女にどのようなことをしてきたか、お解かりですか?
彼は、彼女がそんな理由でやめたことなど、知る由もありません。
彼女が提出した真光隊の引退願いには
「もう一度基本に返り社会人として教えを学んで行きたいと
思います」と言う悲しい口実でした。おそらく、たまたま
彼女の縁談が破談になったことが原因だと副隊長は思って
いたでしょう。それを彼女が深く反省して、出直す気持ちに
なったからだと思っていたでしょう。本当のことなど何も
知らず、本当の彼女の気持ちなどよく見もせず、彼女に非が
あると責める気持ちで、「無理も無い引退」だと思って
いたでしょう。とんでもありません!そんなことで
やめたのではありません。その縁談のことでも、また
それ以前から、彼女の心はどれほど痛めつけられ、
傷つけられ、そのまま捨ておかれていたことか。
何も本当の気持ちなど、語らせてもらえず、言おうとしても
「うだうだ細かいことを!」と言わんばかりに、まともに
聞こうともしませんでした。言うに言えない彼女の気持ちを
彼女が説明しようとしても「お前は細かいんや!」と、ハネつけて
いました。一番肝心なところを聞きもせず、一番話の核となる
ところを無視して、一体なにをアドバイスできるのでしょうか。
「本当に細かい、くだらないことをグダグダ言って相手を指導では
なく攻撃していたのは、副隊長、あなただったでしょう?」と。
神経質な目で、隊員の行動をとんでもない目で見て、決め付けて
いた。そうでしょう?彼女がその後、どうなったか一切ご存知なく。

そんな彼の指導でことが良くなったことなど、ろくにありません
でした。話のマトを得てないのですから。マトを得たアドバイスが
出来るわけがありません。彼女の心が晴れたことも、一度もありま
せんでした。
なにを話しても一方的に見て、言い返す。「上の人は下の話を
もっとよく聞くべきだと思います」そう言った、ある女子隊員の
言葉の意味が、副隊長は解ったでしょうか?
上の人間がそういう指導をし、部下にも受け継ぐ・・・
トンチンカンな権威でいばりちらしただけの指導を受け継いで
一体誰が救われるでしょうか?一度でも相手を理解してやった
ことがありますか?

こんなありさまで、本当のことなど、どうして書けますか?
そんなことを書いたなら、蜂の巣をつつくようなものです。
彼女をやめさせた本人は、自分を省みることなく、
「お前はまたそんなことを言ってるのか!お前は解ってない!」
と、怒涛のように責めたてられるのがオチだからです。
彼女に親切だった、何も知らない、ある男性導士が「もう一度、
復帰して頑張ろうよ」と彼女に声を掛けてくれました。
が、彼女は丁重にお断りをしただけで、本当の理由を話すことは
ありませんでした。おそらくは伝えきれるものではないでしょう。
伝わったとしても、副隊長にその話が伝わったなら、話は
大事になります。さらに隊には居づらくなるでしょう。
真光隊に彼女の救いの場所はありませんでした。

どれほど孤独で、心が癒えることのない、追い詰められた
環境だったか、お解かり頂けるでしょうか?

私は当時の副隊長に、このことを知って頂きたいのと
これが一部ではなく、真光に蔓延した現実であることを
みなさんに知って頂きたいのです。

彼女がそれからどうなったかですか?
その後8年も苦しみ、それにより、苦しみが重なり、本当に大切に
していたものも、悲しい結末を迎え、8年間、苦しみ抜きました。
真光の教えが抜けずに、攻撃された記憶が消せずに!
けれど、今年になってようやく、あるカウンセラーに
救いを見出し、その素晴らしいカウンセラーの、たった2度の
カウンセリングで彼女は立ち直りました。
「8年の真光信仰より、たった2度のカウンセリング・・・」
それが彼女を救ったのです。本当に良いものに出遭ったなら
きちんと救われるものだったのです。
彼女のザイエでも、罪でも因縁でもなんでもなかったのです。
わけの解ってない教団の人間に悩まされ、教団の間違った
「治療」にずっと苦しめられてきただけだったのです。
「万人を救う」という言葉に救いを求め、何も救いにならず
逆に心をグチャグチャにつぶされ、魂を深く傷つけられ、
彼女という個人を破壊する一歩手前まで追いやられたのです。
非情で冷酷で乱暴な理屈で、再起不能になるまでやり続ける。
そうするやり方が真光のやり方なのです。彼女はその手前で
その恐怖に気付き、自ら身を引いたので助かりましたが、
ついには発狂してしまった若い人達が、どれほどいること
でしょうか。
どの教団にも「性質」というものがあります。
真光は、そういう陰険な、ゆがんだ性質の教団、つまりそういう
教えです。上辺ではみんな優しい、きれいな願いを持っているよう
に見えますが、それは気持ちの上辺です。気付かず、ヒドイ
ことを繰り返している教団です。
真実に気付いた人達もわずかですが、いらっしゃいます。
その本当に優しい人達まで、乱暴に扱って壊さないよう、お願い
したいです。

ある男子隊員も、気が狂ってしまいました。でも家族は
「ザイエだ、罪だ、因縁だ」と言う教えで、本当は何が彼を
そこまで追い込んだのか、現実の原因を見つけられないまま、
まだ必至で信仰を、さらに続けておられます。
その教え(考え)から彼を解放し、元の真面目で素直だった
彼に戻してあげることが、これからの彼の人生のために
本当の救いになることなのに・・・。
なぜ、気付かないのか、あまりにも哀れです。
教団外の者や、やめた者がそう言ったところで、しょせんは
「真光の落伍者」としか思われておりません。落伍者の言う
言葉など考え違いだ・・と耳を傾けてはもらえないでしょう。
「バカな親なんだな」と周囲は同情の念を持つでしょう。
でれど、そこまで親を人をバカにしてしまう、うまく理屈で
人をコントロールする、そういう教団なのです。
どこに救いがあるでしょう?

これを単に真光の「一部の現実だ」と言ってしまえることで
しょうか?

もうこれ以上の犠牲者を出さないで欲しいです。
彼女の苦しみが伝わったなら、もうそんな心無い指導、
理屈でかたまった教えなど、強要しないで頂きたいです。

やめていった人が、それで済んではいないことも・・・
しっかりと認識して頂きたいです。やめた後も、どれほど
苦しんでいるかー。真光に入ったお陰で、生涯そのような
責め苦に苦しめられ、正常な人間の生活が出来なくなった
人もあったのでは・・・。

私が見た惨劇は、まだほんの一部です。オウムの陰に隠れて
目立ちませんが、内実は、密かに、しんしんと、恐ろしい
団体だと思います。

はやく、本来の人の姿を取り戻してくださるよう、切に
願います。

(情報提供: 目撃者 さん) 2001/07/24/11:42

人類の大峠・・・それは1999年から2000年に変わるまでに起きる
前代未聞の大天変地異。
「新神21世紀には浄まりし、許された魂のみが残される」
そう叫ばれ続けて、われわれは全てを捨てて神命に立ち上がった。
「どうせ転変地異が来るのに、結婚など無意味だ」そう言って結婚を捨て、
訓練部に志願していった女性達。

しかし「大転変地異」は来なかった。
そして教団が言った言葉は
「天変地異とは、一度に来るのではなく、長期にわたり、何百年単位で
いろいろな場所で少しづつ起こってくるものなのです」

一体これはどういうことか!!
そうだとすれば、何も今までの人類の災害と何も変わりはないのではないだろうか!
とりたてて天変地異だの、大峠だのと、人身を刈り出す必要があったのか。

今後、いろいろな時期にいろいろな場所で起きる災害のことを言うのであれば、
とりたてて「人類大峠」などと世間を騒がせ組み手を焚きつけなくとも
今までの人類の歴史の経緯となんら変わりは無いではないか!

あれほどに騒ぎ立てた「21世紀の変わり目に必ず起こる、10人に一人しか生き残れない
大天変地異」が結局は起こらなかった・・・ことに対し、組み手をなだめるよう、
神示解釈を流したとしか思えない。今になって「いい訳」がましいとは思えないだろうか。


「組み手が頑張ったから大峠を免れた」などは言えないはずである。
「ご聖言」にはハッキリと、「此度の神の計らい、変わりあると思うな」と絶対的計画を
明言しているのである。

「大和人、遅い・・・」そう言った救い主のせっぱ詰まる呼びかけは、一体なんだったの
だと言うのか。

「もし来なければ・・」と懸念するように、2000年も近づいた頃、
「天変地異は一度に来るのではありません、少しずつです」など、一部でささやいた幹部が
いたことも確かである。

それが元々の教理であるなら、なぜにそこまで人心をあおり、ご神業に盲進させたのか。

み光が種々の奇跡を生むことには間違いはないが、「騙されている」ことにまだ誰も
気付かないのであろうか。

あれほど叫んできた教えをひるがえしたにも関わらず、今になり、「少しずつ起こるという
意味だったのよね」と信者があっさり思えること自体、納得できないことである。
人がいいにも程が有る。洗脳されているとは、すでにそう言うことであろうか。

「み光」に魅力を感じ、続けるのも良いだろうが、あまりにも信者をバカにしている・・・
そうは思わないのだろうか。
あまりにも安易に丸め込まれる信心もどうだろうかと思う。

正気を取り戻して信仰して頂きたいと願う。

大声で提唱してきたにも関わらず、結局起こらなかった大天変地異・・・それを
いとも簡単にをひるがえす・・・教えを解釈を。

それでも心底、信じてやっていけるものであろうか、人間とは。

もしくは、「天変地異」が来なかったことは、<禁句>となっているのだろうか。

教団内では深く触れてはいけないのだろうか。それ自体が、教団の専制政治的支配に
はめられていることではないか。

今も熱心に信仰する組み手はどのように理解しているのか、良ければお考えを
頂きたいところである。

現在の2代目「聖珠」は素性も全く不明の女性。それでなぜ信じることができるのか。
初代の妾であることは、初代の生前においては誰の目にも明らかだったという。
初代亡きあと、貞操を守っているかと思いきや、お付きに任命された「T塚」と
すぐに出来たということである。
何処の誰かもわからない女性を、「神の代行者の魂だから」と言われ、無条件に
信じきるのは危ないと言えないだろうか。


洗脳とは・・・かくも人身をごまかすことが出来るものか! 
あまりにも信者が疑問を持たない真光に関しては、嘆かわしい限りである。

(情報提供: 現幹部 さん) happywed@hotmail.com 2002/02/3/6/13:7
由樹子 さん 2003年 08月 15日 19時 28分 38秒
年齢:
会社名:

友達が宗教真光の初級研修会(3日間)に行ってきたそうです
ここのサイトを見ると、真光に入った女性がお布施の為に大学を辞めて水商売をしたあげくに音信普通になったりとか、様々なトラブルがあるようです
友達はまだ正式に入会?していないので、何とか説得して止めさせたいのですが、逆効果になりそうな気もします
宗教というのは扱いが難しくて、他人が好きで信じているものにケチをつけたくはないし、かと言って友達が
変なカルトみたいな宗教にハマって行くのを黙って見ているのもどうかと思います
どうしたら良いのでしょうか?
エイラ さん 2003年 08月 16日 00時 23分 14秒
年齢:
会社名: 真光
由樹子さんへ
マルチと同じく、どの宗教でも苦情はあります。形態も似ています。ただ、これに関しては、本人の自由もあると思います。私も、宗教上の洗脳的なセミナーや度を越したお布施は、否定します。ただ、マルチと同じく、満たされないことがあって、入り込んでしまうのではないでしょうか。マルチをやめさせる説得と同じく、難しいものです。倫理上、おかしいことがあったとき、執拗な勧誘があったときに、アドバイスできるようにしておくしかないかもしれません。そのために、友人関係を壊さないようにしておいたらいかがでしょう?
私の私見ですが、結構、若い人に対して勧誘が多く、占いなどから入る人もいるように思います。どんなきっかけから入会したのでしょう?
苦情のケースを持ち出しても、かえって強硬になる場合もあります。もし、占いから入ったのであれば、占いについての信憑性のアクセスができるかと思いますが・・・
由樹子 さん 2003年 08月 16日 10時 37分 10秒
年齢:
会社名:
エイラさんへ
レスありがとうございます

きっかけと言えるのかどうかわかりませんが、彼女は数年前から霊気によるヒーリングというものに
凝っていて、時々京都に霊気の研修会に行ったり、インドに旅行したりしていました
そういった場所で色々な人達と知り合っていたようなので、彼らに勧められたのかも知れないし、自宅の
ポストに真光のチラシが入っていて、興味を持ったのかも知れません
私の家のポストにもよく真光のチラシが入れられていますが、うさん臭くて信じる気になどなれませんが
匿名 さん 2003年 12月 23日 14時 57分 18秒
会社名:真光
少し古いのですが
由樹子 さん 2003年 08月 15日 19時 28分 38秒 が書き込まれた内容について、感想を載せます。
私もここの研修を受けたことが有るのですが、長く居れば居るほど抜け出せなくなるようです。
全ての不幸現象は霊的な障害によるものとして考え、病気などの原因も霊によるとの見解を出して、
それを治す唯一の手段は「手かざし」による除霊以外は無いとの考えです。過去、多くの人々が
自分の意志とはいえ、医療を拒んでいたようです。後は終末論を強引に押し進め、世紀末には神に
よる大天変地異が、起きると予言していたようですが見事に外れたようです。何れにしても、
霊障や終末論で可成り脅されることは確かなようです。友達を助けるにも実態をよく知ってからに
しませんと、ミイラ取りがミイラになる可能性があります。
その当たりはHPでも参考にして下さい。
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1070943495/l50
http://bbs9.otd.co.jp/982236/bbs_plain
http://geocities.com/cult_attacker/
崇教真光   投稿者名:ミックス

どうも、ミックスです。マジ相談です。

過去、崇教真光が取り上げられていたようなので、やめるべきか
続けるべきか、よろしくお願いします。

半年くらい前から道場に顔出してます。手かざしくらいは
危なくないなって思って、人脈作りと人身掌握術を盗む目的
と多少人生が好転すればいいななんて思って、ゲストのままですが
通ってました。

ご意見よろしくお願いします。

番号:664 (221.18.204.238) 08月23日02時03分(月)
Be   投稿者名:崇教真光

ミックスさん

私は学生時代にこの宗教の信者の方々に大変嫌な思いをさせられてきたので、個人的にはNOですが、人脈作りと人身掌握術を盗む目的で宗教に取り組むのは本気で信心してる人たちに対して失礼に思います。

どんな形で取り組んでも個人の自由なのでお門違いかもしれませんが…

やりたくないのにやってても意味ないと思いますよ。人脈作るなら他にもたくさん方法はありますから。だいたい宗教で人身掌握術学ぶって発想が私にはわからないなぁ…

番号:667 (210.20.149.138) 08月23日09時48分(月)